伝三斎 『無銘』 撫角形 鉄地 地透 真鍮焼付 金吹掛色絵 桶底耳 縦幅83ミリ 横幅71ミリ 重ね11ミリ 重量208グラム( 全て約です) 日本美術刀剣保存協会鑑定書付
秀吉と対等に話が出来、千利休の弟子でもある細川忠興(細川三斎)自ら造った鍔で細川忠興より褒美として与えた旨が西垣四郎によって箱書されております。
徳川実紀のような細川家の史料にもこちらの鍔の由来が載っているようです。
さらには細川家の鍔箱に入っており、伝来からその他あらゆる資料に載って全てが揃っている唯一無二の鍔です。
現在わかってるだけでも5つの本に所載されており、宮本武蔵の鍔よりも遥かに希少であり、世に出回ることは、もう2度とないと思われる究極の名品です。
鉄鍔入門は元本になりますがその他はコピーとなります。
細川三斎
安土桃山・江戸前期の大名。幽斎の長男。妻は明智光秀の娘玉子(細川ガラシア)。名は忠興、通称を与一郎、三斎は号、法名は宗立。はじめ秀吉に従うが、秀吉歿後は家康に従い関ヶ原の戦で大功をあげ、豊前中津藩主、のち小倉藩主となる。和歌・画・有職故実に長じ、また茶の湯を利休に学び七哲の一人に数えられる。正保2年(1645)歿、82才。