銘文『水心子秀世入道』『嘉永五年冬為伊達清長君』 種別 わきざし 長さ 48.6センチ 反り 1.1センチ 元幅33ミリ 元重7ミリ 先幅27ミリ 先重4ミリ 先重 5.5ミリ 刀身574グラム (すべて約です) 秋田県教育委員会
珍しい伊達の姓が入った注文打ちで伊達は華族だけで7家に別れており、宗の字が入らない当主も何人も居ます。
嘉永時代に伊達と名乗るのは伊達政宗と大抵何かしらで繋がってると思われ、君とこの時代に為銘で入る場合主君や殿様への敬称となり、分家かも知れませんが、列記とした殿様であることがわかりロマン溢れる一振りです。
出来は見事の一言で尻懸則長を見るが如く柾目に板目が交じた地肌に淡く映りが立ち、刃紋は直刃調に、浅くのたれて、金線走り、技量の高さを見事に醸し出た名刀です。
秀世は田村群平と称しました、はじめ石堂運寿是一に学び、後に新々刀の開拓者と尊称されている水心子正秀の門人になりました。江戸麻布今里に住むようになり、麻布や本所割下水で作刀しました。吉田秀一とも称し、後に正秀の娘婿となって号を氷心子と切るようになりました。正秀の晩年には数多くの代作を行ったほどの上手であり、その作風は数多い正秀の門人の中で一番師に似た作品を打つとされています。復古刀論にも賛同しそれを実行しました。山浦真雄が江戸に出て水心子正秀の門人となった際には、秀世が鍛刀法の手ほどきをしました。