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裕仁親王殿下(昭和天皇)御守刀姉妹刀(影打ち) 帝室技芸員(現人間国宝)宮本包則製作の短刀保存刀剣

銘文 『帝室御刀工伯耆国生菅原包則七十二歳』『皇孫裕仁親王御殿下御守刀餘鉄以テ作之』 種別 短刀 日本美術刀剣保存協会鑑定書付 恐れ多くも裕仁昭和天皇の御誕生の際に御守刀(実際に敗戦による責任をとらされなかった文字通り守った刀)を造った余鉄で造ったといわれるまさに世に出てはならないものが出てきました。勿論片割れは皇室に有ると思います。正直価格も付けるのも恐れ多く、悩みましたが、頼まれたものですので価値を解る方に御購入頂きたいと思います。価格は依頼者様に77の縁起良い数字でも良いのでは?と私が申し上げました。高いのか安いのかは一度皆様で御判断頂ければと思います。55万に激安モードへ突入いたしました 宮本能登守包則は、天保元年8月25日、伯耆国武田村大柿生まれ、宮本志賀彦という。嘉永4年、22才で刀工を志して、備前長船横山祐包の門人となり、備前伝の鍛刀を学ぶ。安政4年、因幡藩倉吉の家老:荒尾志摩の抱工となり、さらに文久3年、京都有栖川熾仁親王の信任を得て、孝明天皇の御剣を鍛造し、慶応2年37才の時、能登守を受領した。明治19年、同郷の因幡の刀工である日置仁平兼次と共に、伊勢神宮の宝剣・鉾・鏃など多数を精鍛してその大業を果たし、さらに明治39年4月に月山貞一と共に帝室技芸員の栄職につき、専ら皇室の刀剣類を謹鍛した。明治19年に同じ鳥取県出身の日置兼次ととも式年遷宮を迎えた伊勢神宮の神宝を靖国神社で鍛え、明治天皇から高い評価を得た。明治39年には月山貞一と共に帝室技芸員となり高村光雲や黒田清輝など他分野の名工・芸術家と親交を結ぶ。大正4年の大正天皇の御大典に際しては、大元帥刀の製作を命じられ奉納した。孝明・明治・大正・昭和の四代にわたる天皇の御剣を鍛えた御用鍛冶であるとともに、最後の新々刀工です。

裕仁親王殿下(昭和天皇)御守刀姉妹刀(影打ち) 帝室技芸員(現人間国宝)宮本包則製作の短刀保存刀剣

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